【略年表】 加島地区における部落解放のあゆみ
西 暦 | 元 号 | 月/日 | 加島部落史を中心に |
1677年 | 延宝 5 | 加島村の「検地帳」に「かわた」の記載あり | |
1753年 | 宝暦 3 | 「摂州・住吉・東成三郡地図」に二ヶ所の「皮多」の記載あり | |
1760年 | 宝暦10 | 加島の「村明細帳」に「穢多」の記載あり | |
1860年 | 安政 7 | 3月 | 「役人村下屎受け所帳」 |
1868年 | 明治 1 | 2月 | 下屎につき、「取締甲合約定書」かわす |
1871年 | 明治 4 | 8/28 | いわゆる「解放令」発布される |
1873年 | 明治 6 | 加島村、大阪府西成郡第五区二番組となる | |
1876年 | 明治 9 | 10月 | 淀川大洪水 |
1878年 | 明治11 | 11月 | 神崎川付換工事 |
1885年 | 明治18 | 6月 | 淀川大洪水 |
1889年 | 明治22 | 淀川大洪水 | |
1896年 | 明治29 | 三度にわたり水害をうける | |
1897年 | 明治30 | 淀川改修 | |
1900年 | 明治33 | 4/1 | 加島村、野里・御幣島とともに西成郡歌島村になる |
同 | 同 | 6月 | 岡田甚右衛門、香蓑小学校増築に際し、自宅の一部を仮校舎に提供する |
1915年 | 大正 4 | 加島村、藁細工で大阪府農家副業成績品展覧会で三等に表彰される | |
1918年 | 大正 7 | 12月 | 大阪府救済課、「部落台帳」をまとめる |
1919年 | 大正 8 | 8/29 | 帝国公道会の林包明、歌島村で地方改講演会を開く |
1922年 | 大正11 | 3/3 | 全国水平社創立される |
1923年 | 大正12 | 2/11 | 水平社宣伝演説会が青年会館で開催される(参加者50人) |
同 | 同 | 3/2〜3 | 全国水平社第二回大会に、西岡一雄が参加 |
同 | 同 | 3/17 | 水平社宣伝演説会が青年会館で開催される(参加者250人) |
同 | 同 | 4/3 | 西大阪水平社(加島支部前身)創立大会を正恩寺(しょうおんじ)で開く(参加者300人) |
1924年 | 大正13 | 6/25 | 西区南堀江の川北某、西大阪水平社、同少年水平社、全国水平社宛に謝罪状を提出 |
同 | 同 | 6/29 | 小津武林起業、西大阪水平社の糾弾を受け、新聞に謝罪状掲載 |
1925年 | 大正14 | 1/27 | 加島村駐在高木巡査、香蓑小学校荻内校長、差別事件引き起こす |
同 | 同 | 1/28 | 西大阪水平社、校長へ抗議に行く |
同 | 同 | 1/29 | 西大阪水平社、再度、校長への抗議 |
同 | 同 | 1/30 | 東の町町民大会開く、校長と巡査に謝罪状の要求を決定 |
同 | 同 | 1/31 | 夜、町民大会を開く、校長辞職、巡査処分要求、2月2日から同盟休校の決議 |
同 | 同 | 2/1 | 西大阪水平社、全町120戸に連印をとり、同盟休校を確認 |
同 | 同 | 2/2 | 対象児童140人同盟休校に突入、夜、演説会を正恩寺で開く(参加者500人) |
同 | 同 | 2/4 | 西大阪水平社、永井警察部長と会い、巡査処分要求 |
同 | 同 | 2/10 | 西大阪水平社150人、大阪府庁へおしかけ校長処分を要求 |
同 | 同 | 2/11 | 紀元節拝賀式を拒否し、同盟休校を続ける |
同 | 同 | 2/12 | 荻内校長、中津第二小学校へ転任される |
同 | 同 | 2/13 | 西大阪水平社、中園歌島村長、林元校長との調停会談で事件解決、同盟休校を解く |
同 | 同 | 3/3 | 第4回大阪府水平社大会で、西大阪水平社3議案提出、西岡一雄が執行委員に選ばれる |
同 | 同 | 3/7 | 香蓑小学校で、差別撤廃講演会を開く、弁士栗栖七郎、西岡一雄等 |
同 | 同 | 4/1 | 西成郡が大阪市に編入され、西淀川区加島町となる |
同 | 同 | 4/26 | 西大阪水平社創立2周年大会を正恩寺で開く |
同 | 同 | 2月〜4月 | 香具波志神社氏子加入問題、共同墓地火葬場使用問題解決 |
同 | 同 | 6月 | 大阪市議員選挙で、西大阪水平社が名越民次郎を応援し、当選する |
1926年 | 大正15 | 6/21 | 淀川右岸水害予防組合結成される |
1929年 | 昭和4 | 4/1 | 香蓑小学校加島分校開設される |
1930年 | 昭和5 | 5/4 | 全水加島支部の活躍を「水平新聞」が報じる |
同 | 同 | 6/16 | 全国水平社第13回常任委員会で加島支部演説会に泉野、米田ら派遣を決定 |
同 | 同 | 7/6 | 全水大阪府連再建大会に加島支部積極的に参加 |
同 | 同 | 7/23 | 全水加島支部、府連大会宣伝演説会を正恩寺で開く |
同 | 同 | 10/25 | 大阪府連執行委員会を加島で開く |
1932年 | 昭和7 | 10/27 | 経済構成協議会に加島町より西岡佐次郎が出席 |
1933年 | 昭和8 | 7/25 | 高松差別裁判糾弾演説会を加島町で開く。参加者40名 |
1934年 | 昭和9 | 5/15 | 全水大阪府連大会で加島支部前田喜一、執行委員に選ばれる |
同 | 同 | 7月 | 加島共同浴場創設される |
同 | 同 | 9月 | 全水加島支部、府連とともに風水害対策を大阪府・市に要求 |
1935年 | 昭和10 | 7/28 | 全水大阪府連1935年度大会に加島支部から代議員5人参加、西岡丈太郎が執行委員に選ばれる |
1936年 | 昭和11 | 9/21 | 東之町の町会で朝鮮人共同浴場入浴拒否を決定 |
同 | 同 | 11/8 | 全水加島支部など9支部、全水北大阪地区協議会を結成 |
1937年 | 昭和12 | 7/7 | 日中全面戦争はじまる。 |
同 | 同 | 7月 | トラホーム加島臨時診療所開設される |
1938年 | 昭和13 | 7/6 | 加島経済更生会結成される |
同 | 同 | 末 | 海軍のあっせんで藁製品を加島町で製造 |
1939年 | 昭和14 | 9月 | 大阪府議会議員選挙で中岡勝一が当選する |
1941年 | 昭和16 | 4/1 | 加島国民学校と改められる |
同 | 同 | 6月 | 加島共同作業場開設される |
同 | 同 | 12/8 | 太平洋戦争はじまる |
1942年 | 昭和17 | 1月 | 全国水平社自然消滅する |
1943年 | 昭和18 | 4月1日 | 西淀川区から東淀川区加島町となる |
1944年 | 昭和19 | 8月 | 学童疎開はじまる |
1945年 | 昭和20 | 1/30 | 大阪市初空襲うける |
1946年 | 昭和21 | 2/19 | 部落解放全国委員会結成される |
同 | 同 | 8/4 | 部落解放大阪青年同盟結成される |
1947年 | 昭和22 | 4/1 | 加島国民学校を加島小学校と改称する |
同 | 同 | 部落解放委員会大阪府連結成される | |
1951年 | 昭和26 | 12/1 | 大阪府同和事業促進協議会結成される |
1953年 | 昭和28 | 1/20 | 加島に水道本管250mが布設される |
同 | 同 | 2/10 | 大阪市同和事業促進協議会結成される |
同 | 同 | 9/1 | 大阪駅前〜加島町間にトロリーバスが開通 |
同 | 同 | 9/5 | 加島町青年会館落成 |
1954年 | 昭和29 | 7月 | 加島児童館落成 |
1955年 | 昭和30 | 8/27〜28 | 解放委第10回大会で部落解放同盟と改称 |
1956年 | 昭和31 |
3/21〜22 |
第1回全国婦人集会開かれる |
1956年 | 昭和31 |
9/10 |
(財)加島保育園、保育所として設置の許可をうける |
1956年 | 昭和31 | 10/16〜17 | 加島地区でトラホーム一斉検診が行なわれる |
1956年 | 昭和31 | 12/18 |
加島青年協議会結成される、会長西田重行 |
1956年 | 昭和31 |
12/28〜31 |
加島青年協議会、年末夜警を実施 |
1957年 | 昭和32 |
1 | 西本弥三七の自費により、町内にスピーカー設置 |
1957年 | 昭和32 | 2/26 | トラホーム予防映画会開かれる |
1957年 | 昭和32 | 7/25〜26 |
第一回全国青年集会開かれる |
1958年 | 昭和33 | 1/28 | 加島保育園増築記念式開かれる |
1958年 | 昭和33 | 7/27 | 大阪市同和地区青年協議会結成される、会長に加島の岡田信太郎が選ばれる |
1959年 | 昭和34 | 1 | 共同浴場建設のため土地買収 |
1959年 | 昭和34 | 10/8 | 市同促婦人部、加島地区の施設を見学する |
1960年 | 昭和35 |
7 | 加島共同浴場落成 |
1960年 | 昭和35 | 10 | 大阪府連住宅対策委員会に加島から参加 |
1960年 | 昭和35 | 12/8 | 生業資金獲得に向け大阪市に座りこみ闘争 |
1961年 | 昭和36 | 6/10 | 加島鉄筋住宅(1号館)竣工式開かれる |
1961年 | 昭和36 | 8 | 青年により盆踊り大会開かれる |
1962年 | 昭和37 | 4/21 | 市同促第10回総会で西岡一雄、会長に選ばれる |
1962年 | 昭和37 | 5/20 | 加島住宅要求期成同盟結成式、加島保育園で開かれる、会長西岡一雄 |
1962年 | 昭和37 | 5/23 | 加島地区婦人協議会結成、加島保育園で開かれる、会長川口梅子 |
1963年 | 昭和38 | 1/16 | 加島市営鉄筋住宅(2号館)落成 |
1963年 | 昭和38 | 5/1 | 狭山事件発生 |
1964年 | 昭和39 | 2/19 | 加島市営鉄筋住宅(3号館)落成 |
1964年 | 昭和39 | 8/5 | 加島市民館が開館される |
1965年 | 昭和40 | 4/17 | 加島市営鉄筋住宅(4号館)落成 |
1965年 | 昭和40 | 5/29 | 部落解放同盟加島支部結成される、支部長山田作之助 |
1965年 | 昭和40 | 8/11 | 同対審「答申」出される |
1966年 | 昭和41 | 8 | 加島市営鉄筋住宅(第2種1号館)落成 |
1966年 | 昭和41 | 9 | 加島支部「部落白書」を作成し、「答申」完全実施国民大行進に参加する |
1966年 | 昭和41 | 11/14 | 大阪府連、市同促、住宅入居につき支部・期成同盟と話し合いをもつ |
1967年 | 昭和42 | 3/3 | 加島地区学習会を加島市民館で開く、講師に向井正大阪府連執行委員 |
1967年 | 昭和42 | 12 | 加島市営鉄筋住宅(東)一斉入居 |
1968年 | 昭和43 | 9/6 | 加島支部統一後、第一回対市交渉開く |
1969年 | 昭和44 | 3 | 矢田教育差別事件が発生 |
1969年 | 昭和44 | 4/1 | 加島市営鉄筋住宅(5号館)落成 |
1969年 | 昭和44 | 6/22 | 加島地区住宅入居者組合を結成 |
1969年 | 昭和44 | 7/10 | 同和対策事業特別措置法施行 |